2009年06月03日
伊達(?)な女一人旅 ~瑞巌寺①~
10時半頃、瑞巌寺到着です。

参道独り占めですwwwww
あざーっすwwwwwwwww

縦にするとまたすごいwww
あざあざーっすwwwww はぁはぁ興奮しまくりです。

3歩歩くたびに写真をとるという離れ業を披露しまくる私。悲しい子。
参道だけで20枚ぐらい写真ありました。…。
にしても杉が本当に背高くてですね、チェホンマン7人分ぐらいありそうな気がします。もっとかも。
一人っきりで参道あるいたんで、すごい厳かな気持ちになりました。
たとえると政宗さまと腕組んで幸せな門出(深刻なエラーが発生したため終了させていただきます

じゃん。本堂。
本堂内は撮影不可だったのでひっしこいてメモりましたよ!!!
その前に庭です。
庭にはあれがあります。
庭には二本の梅があります。
長くなりそうなんで次また書きます…
こんなペースでもゆっくり日記かけていけたらいいな…。。。

参道独り占めですwwwww
あざーっすwwwwwwwww

縦にするとまたすごいwww
あざあざーっすwwwww はぁはぁ興奮しまくりです。

3歩歩くたびに写真をとるという離れ業を披露しまくる私。悲しい子。
参道だけで20枚ぐらい写真ありました。…。
にしても杉が本当に背高くてですね、チェホンマン7人分ぐらいありそうな気がします。もっとかも。
一人っきりで参道あるいたんで、すごい厳かな気持ちになりました。
たとえると政宗さまと腕組んで幸せな門出(深刻なエラーが発生したため終了させていただきます

じゃん。本堂。
本堂内は撮影不可だったのでひっしこいてメモりましたよ!!!
その前に庭です。
庭にはあれがあります。
庭には二本の梅があります。
長くなりそうなんで次また書きます…
こんなペースでもゆっくり日記かけていけたらいいな…。。。
2009年06月05日
伊達(?)な女一人旅 ~瑞巌寺②~
前回の続きです。
庭には、二本の梅があります。
臥竜梅。本堂から向かって左が紅、右が白…だった気がします。

臥竜梅とは、その名のとおり、龍が地を這う姿に似ていることからそう呼ばれるそうです。
その当時から独眼竜と呼ばれてたかは確かじゃないですけど、竜同士ですねw
ちなみに臥竜とは劉備に使えた軍師、諸葛亮を称した言葉でもありました。
梅の見ごろは4月頃でしょうから、もちろん行ったときは青々と緑が茂っていました。
この梅は、政宗さまが朝鮮出兵したとき、朝鮮から持ってきたものだそうです。
なんでか、自分の兜に枝わけした枝をいれて、えっちらほっちらしながらもってきたのです。ここまで。
かわいいことすんなぁ。ちなみに政宗さまは27~8歳のときでしょうかね。

朝鮮出兵が400年前なので、この木の樹齢もそれ以上になるでしょうか。
だいぶよたってるんだか、支えの木にたくさん支えられてました。
本堂は撮影禁止だったので写真はありませんが、ざっと覚えてることだけでも書いちゃいます。
私の記憶があやふやになるのでw
靴を脱いで入って正面に、大きな部屋があります。「室中孔雀の間」というそう。
寺らしい風景で、仏像あって、賽銭箱があるような。
賽銭箱には伊達家の家紋、竹に雀が刻まれていました。
こちらからは見えないところに、政宗さまの位牌があるそう。
今でも毎日朝5時、そして命日の日にはしっかり法要するらしいです。
…続きはまた今度書きます。。ちょとイラストが入用になりました。w
庭には、二本の梅があります。
臥竜梅。本堂から向かって左が紅、右が白…だった気がします。


臥竜梅とは、その名のとおり、龍が地を這う姿に似ていることからそう呼ばれるそうです。
その当時から独眼竜と呼ばれてたかは確かじゃないですけど、竜同士ですねw
ちなみに臥竜とは劉備に使えた軍師、諸葛亮を称した言葉でもありました。
梅の見ごろは4月頃でしょうから、もちろん行ったときは青々と緑が茂っていました。
この梅は、政宗さまが朝鮮出兵したとき、朝鮮から持ってきたものだそうです。
なんでか、自分の兜に枝わけした枝をいれて、えっちらほっちらしながらもってきたのです。ここまで。
かわいいことすんなぁ。ちなみに政宗さまは27~8歳のときでしょうかね。


朝鮮出兵が400年前なので、この木の樹齢もそれ以上になるでしょうか。
だいぶよたってるんだか、支えの木にたくさん支えられてました。
本堂は撮影禁止だったので写真はありませんが、ざっと覚えてることだけでも書いちゃいます。
私の記憶があやふやになるのでw
靴を脱いで入って正面に、大きな部屋があります。「室中孔雀の間」というそう。
寺らしい風景で、仏像あって、賽銭箱があるような。
賽銭箱には伊達家の家紋、竹に雀が刻まれていました。
こちらからは見えないところに、政宗さまの位牌があるそう。
今でも毎日朝5時、そして命日の日にはしっかり法要するらしいです。
…続きはまた今度書きます。。ちょとイラストが入用になりました。w
2009年06月09日
伊達(?)な女一人旅 ~瑞巌寺③~
瑞巌寺のパンフレットどこだ…!前でろ、前だ!!!(…
ということでカオスなメモ帳を元になんとか文章におこそうと思います…うぅ…
あとでわかったら更新とかしよう、かな…
本堂の中央の間の横の部屋。
文王の間って名前…だったはず。
「釣れますか などと文王 そばに寄り」という川柳がありますが、それをあらわした絵が部屋中に描かれてます。
中国最古の国家(?)、殷の時代、のちに殷を滅ぼし周の国を興す(実際起こすのは子ですが)西の地方を支配する文王が、
釣りをしている太公望に声をかける、というシーンですね。
釣りをしている…といっても、太公望の針は真っ直ぐ。
…実際その絵で真っ直ぐなのかは見れませんでしたorzorzorzorz 7年我慢するのか…私…!!!
あ、でふすまの絵はともかく、
そこの部屋は伊達家の親戚が待機する部屋だったそうです。
で、さらに左となりの部屋。
<~後で編集します~>
廊下を歩き裏側へ。
裏側には政宗さま、忠宗さんに殉死した方たちの仏像?がおかれています。
狭い部屋にぎゅうぎゅうに入ってるので、威圧感というかなにか怖いものを感じます。。。
廊下はあるくときゅっきゅいいます。
二条城にもある鴬張りなのかな?(歩くときゅっきゅ言うから、人が歩くと気づく)
でもこれって寺としては必要なのか…?? なんとなくにおいますね。w
廊下は高いところと低いところとあります。
高いところはまぁえらい人があるくとこ用。
低いとこは下級武士とかがあるくとこ用。木のつなぎ目の間には少しの溝があり、滑り止めの役割も果たしているそう。
「むしゃばしり」というんだそうです。
これは後にもでてきますよ(´▽`)
菊の間。
お医者さんが滞在していたそう。
鷹の間。
ふすまの鷹の絵は、伊達軍の猛将をあらわしているとか。
ざっとこんな感じかなー、ざっとすぎるwww

家紋ついてるよん

本殿堪能したあとは、横の宝物殿いっきまーす。
このもみじ?の写真お気に入りです。
ということでカオスなメモ帳を元になんとか文章におこそうと思います…うぅ…
あとでわかったら更新とかしよう、かな…
本堂の中央の間の横の部屋。
文王の間って名前…だったはず。
「釣れますか などと文王 そばに寄り」という川柳がありますが、それをあらわした絵が部屋中に描かれてます。
中国最古の国家(?)、殷の時代、のちに殷を滅ぼし周の国を興す(実際起こすのは子ですが)西の地方を支配する文王が、
釣りをしている太公望に声をかける、というシーンですね。
釣りをしている…といっても、太公望の針は真っ直ぐ。
…実際その絵で真っ直ぐなのかは見れませんでしたorzorzorzorz 7年我慢するのか…私…!!!
あ、でふすまの絵はともかく、
そこの部屋は伊達家の親戚が待機する部屋だったそうです。
で、さらに左となりの部屋。
<~後で編集します~>
廊下を歩き裏側へ。
裏側には政宗さま、忠宗さんに殉死した方たちの仏像?がおかれています。
狭い部屋にぎゅうぎゅうに入ってるので、威圧感というかなにか怖いものを感じます。。。
廊下はあるくときゅっきゅいいます。
二条城にもある鴬張りなのかな?(歩くときゅっきゅ言うから、人が歩くと気づく)
でもこれって寺としては必要なのか…?? なんとなくにおいますね。w
廊下は高いところと低いところとあります。
高いところはまぁえらい人があるくとこ用。
低いとこは下級武士とかがあるくとこ用。木のつなぎ目の間には少しの溝があり、滑り止めの役割も果たしているそう。
「むしゃばしり」というんだそうです。
これは後にもでてきますよ(´▽`)
菊の間。
お医者さんが滞在していたそう。
鷹の間。
ふすまの鷹の絵は、伊達軍の猛将をあらわしているとか。
ざっとこんな感じかなー、ざっとすぎるwww

家紋ついてるよん

本殿堪能したあとは、横の宝物殿いっきまーす。
このもみじ?の写真お気に入りです。
2009年06月10日
伊達(?)な女一人旅 ~瑞巌寺④~

宝物殿いきまーす
看板にかいてある庫裡(くり)は、今は入り口だけ入れます。
中にはなんか…たってる仏像がありま、す…。もうちょい信心深ければ仏像にも興味沸いたんでしょうが。
あまりにも適当説明になっちゃいますね。。。今度はもっとほんとうに舐めてくるように見なくては…
近くに銅鑼?鐘?があり、ちょうど鳴らしてました。
ほんと心臓のど真ん中までずーっと響くような厳かな音でした。

なんだろ?湧き水かな 井戸かな

にしても本当に緑が鮮やかで綺麗な庭園です
宝物殿は館内撮影禁止だったのでもちろん撮影してませんが、せめて外観ぐらいはorzorz
ちょ…次回に生かそう…
地下に広がる感じの建物で、一番のみどころは、
伊達政宗甲冑倚像 です!
奥さんである愛姫さんが、政宗17回忌の時に作らせたそうです。
モデルは朝鮮出兵の時だそうで。
ほかの像は右目も左目も(遠くからみればほぼ)同じ大きさで作られているのにこれだけは少し右目が小さめに…なってる気がする。
前たてがいよーに長いですよね。肩幅よりもおっきいですが。w
バランスくずしたり、隣にいた小十郎の目にぶっささったりしなかったでしょうか。
かがんだ時、前の人のケツとかに(略
それ以外はさらさら~とみて出てきちゃいました。
…うーん、見所見落としてたらいやだなぁ
帰り道は、石洞っぽい道通ってきましたよー
涼しいどころか寒いぐらいの道でした。
別に仏教徒でもなんでもないけど、身が引き締まりますな
昔ここで修行した方もたくさんいたみたい。
私もして煩悩のひとつでも落とせればいいんじゃないかな…


おっきな石碑で鰻塚とかいてあったのがある気がしたんですが、なんでしょうね、これは